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モモ・ケイタ
 モモ・ケイタというドラマーがいる。
現在コナクリ市のカロム地区に唯一あるバレー団「バシコロ・デ・カロム」のソリストである。
 2006年、ドゥンドゥンプレーヤーであるイブロが、僕の為にと見つけてくれたジャンベの講師。「彼はダンスとドラムの秘密を知っている」そんな文句で紹介された。
まだ20代前半のモモは毎日タクシーに乗って、僕の住んでいた「ワキリ・ギニー」まで来てくれた。
モモ
モモは体格が比較的小さい。しかしそれを補うように背筋を使って全身で太鼓を叩く。
その体型からは想像できない、音量と音数を出してくる。
それゆえ彼はアーティスト達から「バズーカ」というあだ名で呼ばれていた。

 今回2度目のギニアで空港まで迎えに来てくれたのもモモだった。暗闇の中目を光らせて「アラカリ!」と叫んで僕を見つけてくれた。英語でのメールで「その日にギニアに行くよ」と伝えただけだったのに、本当に空港まで来てくれたのだ。
 その日からモモの家に居候する事になった。

 モモはその音楽的な才能と、オリジナリティのあるスタイルでミュージシャンとして信頼されてる。しかしその反面、日本で言うならまだ遊び盛りのやんちゃ坊主。アメリカのヒップホップミュージッシャンみたいな格好をして悪友とつるみ、時には喧嘩、警察沙汰になる事もあった。
 ドゥンドゥンバパーティーやバレーの練習でも遅れて来て、誰がソロを叩いていようとおかまいなしにバズーカなソロを叩く。しかし不思議と誰も文句は言わない。というかモモが言わせない。
 そんなモモの優しさとワルさが人を集めて彼の家(俺の寝室)にはいつだって人がいた。ジャンベ叩きに、ダンサー、外国人、モモの舎弟、女1、女2、軍隊、子ども、等々。
俺が寝たい時や独りになりたい時以外は、楽しいにぎやかな生活だった。

 しかしワークショップシーズン(1月〜3月)が到来して、モモも色んなワークショップの特別講師としてコナクリ中を駆け回っていた。ユールやカラモコのワークに行っては「新しい日本語を覚えた」とか「日本の女は良い」とか2児のパパとは思えない若ーい感じである。

(モモにそっくりの息子、セクバ・ケイタ)

 にしてもモモ自身、日本人との関係性が濃いようだ。在日ギニア人の2人からはかわいがられている様子だし、その生徒達からもしたわれていた。 
忙しいスケジュールの中、1週間に2回くらい帰って来て、「今週もワークでアラカリとは一緒に叩けない、でもアラカリは日本人の中で俺の一番目の生徒だ」とよく言ってくれた。
 俺は俺でモモが自分の力で日本への一歩を踏み出しているようで、応援したかった。
「俺は大丈夫、良いとこ見せて来てよ!このチャンスを切っ掛けにモモが日本来たら最高じゃん」
 いつかモモから「日本に行くから」ってメールが来る事を願いつつ。
日本に来た時に「叩き方忘れたのか?下手になってるぞ」とか言われないように準備しとかないと。

ミュゼナショナル
バズーカのPLAYが気になる人は、カラモコさんの新しく出た?DVDで見れますよ。
 


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サイケデリック!


このサイケデリックな円盤、は、なんでしょう?

答え:プラスチックのお皿です。

ギニアでいつも使ってたお皿なんだけど、光にかざすとすごいサイケデリック!
びっくりなあまり、商品画像として使ってます笑
アラカリくんの思いつきなんだけど、ぜひ見てもらいたいっ。
ココをclick!

ただ、このお皿、光にかざさなくても結構サイケデリック。
ショッキングピンク+グリーンとか、ライトブルー+こげ茶とか、このドキッとする色合わせは「ギニアInspiration!」
お皿以外にもバケツやコップなどプラスチックのものはだいたいこの色合わせ。
角度によって見える絵柄が入ってるものもあって見てても面白いんだな。

赤土の町並みの中では、まったく違和感なくこの色使いが普通にマッチしていて、サイケなお皿に、白いごはんとブラガイ(おいもの葉をグツグツにしたソース)がのったアフリカごはんは、よだれが出てしまうのです。

日本でいざ使おうとすると、これにごはん乗せちゃうの?とやや抵抗感がなきにしもあらずかもしれませんが使ってみると、やっぱり良いのです。ごはんが楽しくなっちゃうのです。

あと、穴があいてたお皿は照明にしてみました。
天井にオレンジの円ができてあったかい雰囲気がGOOD!


このお皿もって、出店がてらキャンプするのが楽しみな今年の夏。
GWはGROUND BEATに、5/16・17はNatural Highにモロッコ雑貨の「la medina」と共同出店にいってきます!
| chii (haja) | Inspiration | - | - |
イブロ
 イブロとの不思議な出会いの後、僕はすぐに彼と息が合うようになりました。
それはものごとの考え方、捉え方、対処の仕方に共感する事が多かったからです。
そういえば家族構成も全く同じだった。
 ジャンベの先生ではあるけど、その他にも一緒にいて勉強できる事が多かった。
Ibrahim sory keita
 イブロと一緒にいると様々な「good timing な巡り合わせ」を引き寄せたように思う。

初めて彼に紹介してもらった家はバ・シソコという有名なバンドの別荘の一室だった。そこには毎日色んなアーティストが遊びに来ていて、音楽は勿論、演劇やダンスをそこらでやっていた。だから音は気にせず出せたし、色んなジャンルの友達もたくさん出来た。雨期の時期も使われていない駐車場でジャンベも叩けた。(これは雨期のギニアではすごくラッキーな事だと思う)
 そこにモモというすごいソリストをジャンベ講師に連れて来て、ジャバというグリオ歌手に出会い、ケンケニを叩いてもらう様になったり。(その後彼らはモモの生徒のフランス人、シャルとつるむようになり、音楽を続けCDを出す事になった)
 そもそもイブロは子ども時代にシリアレオネで教育を受けたため、英語での会話が出来た。(ギニアはフランス語圏なので、英語はほとんど通じない)
 そして今回ギニアに行った時、偶然3日後にイブロも単身ギニアに帰国して来た。
(イブロはフランス人のルーシーと結婚してからフランスに住んでいる。シディキという名のJr.も生まれてパパでもある)
  
 何とも僕に多大な影響を与えた、人生の重要な登場人物である。
 アラカリ(本来村のチーフに与える名前だという)という名を僕にくれたのもイブロだ。
 
アラカリ(alkhaly)とハジャ(haja)でアラカジャ(alkhaja)。
先生であり友人であり魂の兄弟であるイブロが僕らにくれた名前。
リスペクトを込めて店の名前にしました。
名前に負けないように頑張らねば。

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haja fantaという名前
はじめましてchiiです。
ギニアでみんなからもらった名前は「haja fanta」。

hajaという名前はメッカに巡礼にいった女性がもらえるありがたい名前。
ギニアはイスラム教だから、名乗るたびに「メッカに行ったのか!?」と聞かれ
「まだです…。」と答える私。でも、みんなそれ以上は突っ込まない。
敬虔なイスラム教徒であっても、ギニアからメッカにいける人はお金持ちだけで
ほとんどの人が巡礼にはいけないからだと思う。
でもギニアに「hajaさん」はたくさんいる。
「fanta」というのはダンサーの家系に多い名前らしく、確かダンスの先生が一押し!で付けてくれたような…気がします。はい。

ギニアで家があった場所はTaoyaという町で、
大通りから海につながる100メートルほどの1本道の途中にあり、そこは誰もが知り合いで、だれがどこに行ってるかも普通に知っている、ご近所付き合いが濃いーところ。昔の村社会だったころの日本はこんなだったのかなぁと思うかんじ。

↑この通りの先に家と、毎日太鼓の練習をしていた海があります

この通りには、ガトー(揚げドーナツ)を売っている「ハジャ ファンタ」というママ、同じ屋根の下には、「ハジャ ファンタ」という小さい女の子がいて、私の名前も「ハジャ ファンタ」。ご近所にすでに同姓同名が3人。

ギニアには同じ名前の人がたくさんいて、同じ名前の人のことを「ン トゴマ」と呼ぶ。「ン トゴマ、サバ!」とあいさつすると、不思議なもので親近感がわいてくる。名前には命がやどるのか、血縁はないけど身内のような…ギニアマジック?

↑一番右のタマネギ頭の女の子がhaja fanta、私もhaja fanta!

ある日、歩いてて、遠くで畑仕事をしてたおばぁちゃんにいきなり名前をもらったことがある。すでに名前をもらっていた私は遠くにいるおばぁちゃんに「ン グリディ ハジャファンター !(私はハジャ ファンタですー)」と叫ぶ…が、聞いてない、遠くて聞こえてない?のか、また名前をくれる…

「名前をもらうのはいいことなんだ!今日一日はその名前を名乗ったらいいよ。」と太鼓の先生であり、ギニアでの生活をすべてみてくれた恩人であり、同い年で友達でもあるIBROは教えてくれた。

名前には力がある。

ひとりに1つじゃなくてもいいものですね。

Every people has the beautiful names♪
| chii (haja) | Life | - | - |
アラカジャのマーク
 2006年5月。ギニアに初上陸したその初日、悪夢にうなされて起きた。
起きたらまだ、外は明るく無性に暑かった。
 飛行機が早朝5時に着いた為に、ホテルの外で野宿して、すぐ起こされチェックインを済ませてベットに横になったら寝てしまっていたのだ。
 お腹が空いたし、コナクリがどんな町か見みたかったので、外に出てそこら辺をうろうろしてみる事にした。半島になっている事は知っていたので海がある方に歩いて行った。
 ガトー(揚げドーナッツみたいの)屋のおばちゃんに何も分からず1000FG札を渡すと、
両手いっぱいにくれた。「2〜3個で良かったのに」と思いつつ角を曲がると海が見えた。
「汚い・・・。」砂浜ではなく、溶岩みたいな岩がゴロゴロしたゴミだらけの海。
でも自然と人は集まっている。

 そこに突っ立っていると、2人の学生が声をかけて来た。ジギーとモッター
学生らしく「日本語に興味があるから日本語を教えてくれ」と、
スス語との言語交換をしながら日本語を教え、色んな話をしていた時に
俺が「太鼓を習いに来た」というと、実はモッターの兄はジャンベの達人で丁度ヨーロッパから帰って来た所なので、直接電話交渉しろと電話番号をくれた。
「スス語もさっき教わった「イヌワリ(ありがとう)」しか知らないし、モッターの兄がどんな人なのかも知らないし、もう少し様子を見てから電話する事にしよう」と思っていたら、「あそこに電話屋があるから今すぐ連絡しなさい」と言う。
 「いや後で・・」とは言える雰囲気はなく、しぶしぶ15メートルくらい先の電話屋の方に歩いて行く途中、不意に左を見ると3人の男が立って話をしていた。

 その真ん中にいたラスタマンと目が合った「何か知ってる」と感じた。
何故かその時、「誰ダッケ?」と考える間もないうちに英語で話しかけていて、自分でもビックリしていた。フランス語圏のギニアは英語を話す人が少ない、でもラスタは英語で返事をする。 話していると人違いだったのだが、雰囲気良く「名前はイブラヒム・ソリ・ケイタ」で「バレー団で太鼓を叩いて」「太鼓作るのも好きだし、アッそうだ今俺の作った太鼓の写真がある」とデジカメも見せてくれた。すごくかっこいい太鼓だった。その太鼓もかっこいいし、イブラヒムも雰囲気良いし、「太鼓教えてくれない?」と聞くと「じゃあ明日9時にここに来い」と言い、マウンテンバイクにまたがって去って行った。 
 
 次の日から8ヶ月、イブロと毎日のように太鼓を叩き、飯を食べ、語り、生活を共にして来た。そしてジャンベも結局イブロの作ったものを譲ってもらいずーと使っていた。
 
 実はそのジャンベには2本の手が彫刻されてそれぞれの手のひらに目と口が彫られていたのですが、「手でしゃべる」「音を観る・観せる」そのアフリカ独特のストレートなインスピレーションがすごく気に入ってアラカジャのマークにも取り入れてみました。
 



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