またまたギニアのお友達の話。
初めてギニアに着いて、イブロを見つけ、モモと会い、自分の環境が段々と良い方向に
向かって来た。
そんな中、まだホテル暮らしをしていた僕にイブロが「俺のうちのそばにおいで」と、
タオヤ町にあるワキリ・ギニーというを場所を紹介してくれた。
当時何も分からずに、ただ直感の居心地の良さから3ヶ月の契約(1部屋分)をしたのだけれど、今になって考えると、そこはバシソコというギニアが誇る世界的なミュージシャンの別荘であり、それを取り巻くアーティスト達のたまり場という、音楽をやるには申し分ない環境だったのである。

ワキリ・ギニーの庭の練習場。すぐ後ろはマングローブの川。
イブロ、モモ、僕の3人で太鼓を叩いていると、毎日のように暇なアーティスト達が冷やかし半分に遊びに来ました。一緒に太鼓を叩く者、ゴンゴマを持って歌いにくる者、ただ群がってくる者。 ある日、いつもの様に3人で練習をしていると、タバコと常に吸っているおじさんが来ました。痩せていて、煙を吸うたびにごほごほと咳き込んでいて「この人は大丈夫か?」と思わざる得ない人でしたが、その日ケンケニを叩いてくれてから、毎日練習の時間には練習場に現れて、ケンケニやジャンベを一緒に演奏してくれました。
彼の名前はジバジャン。正確な名前は確かモハメッド・ラミン・クルマ。
彼の亡きお父さんはギニアでも有名なドゥンドゥンバダンサーで(嘘だか本当だか?ママディ・ケイタを村から呼んだのも彼だとも言っていました)、そのお父さんがジバジャンと呼ばれていた事から、息子の彼もそう呼ばれる様になったと言っていました。
イブロもジバジャンとはワキリで初めて会ったようなのですが、2人で話しているとどうやら、どちらの母親もその昔、国立舞踊団のダンサーとして踊っていた人物で、しかも母親同士大親友だったらしいのです。(別の日にジバのお母さんが、イブロを見た時に涙を流して喜んだそうです)
偶然の練習参加からジバも毎日いる大切な仲間になりました。
お父さんが亡くなってから、そのショックにジャンベを叩く事を辞め、煙ばかりすって、浮き沈みの激しい性格で、飽きやすく、調子に乗りやすい彼はどうしようもない人間に見えましたが、ある時、彼の歌声を聴いてからそんな事はどうでも良くなりました。

何かあると歌い出し、次から次へとメロディーが、言葉が飛び出してくる彼のスタイルに完全にやられてしまいました。
そう思っていたのは僕だけでなく、イブロやモモも同じ様に思っていました。
ケンケニを叩きながら眠りそうになり、みんなから怒られたと思っていると、休憩時間に歌い出し結局みんなが許してしまう。そんな事を毎日の様に繰り返していました。。。
ギニアに来て半年も過ぎた頃、モモの生徒のフランス人のシャルがジバジャンの歌声に惚れて、自分でギターを弾き、ジバジャンに歌わせて、太鼓の練習終了後にみんなでゆーるーくセッションなんかを楽しむ様になりました。それからほどなくして、ストライキに巻き込まれ僕は日本に半強制的に帰国したのですが、その後もこのセッションはギニアで行われていたらしく、フランス人のシャルのおかげで、レコーディング、CD作成まで行き着きました!!
メンバーは唄ジバジャン。ギター・シャル。ドゥンドゥン・イブロ。ジャンベ・モモ。バイオリン・ルーシー(イブロの奥さん)の5人で、TARAGONAというバンドです。
youtubeにアップされていました。
現在、結婚や外国に住んでいる事で、みんなが散らばってしまっているけど、メンバーチェンジや埋め合わせをして、今でもジバジャンは歌っているようです。
今年もシャルがギニアに来て、TARAGONAのプロモーションをしていました。
応援したいな。
CD気になる人いたら連絡下さい。シャルに聞いて取り寄せてみようかな??